お寺のスピーカはBOSE・ボーズ・坊主?
ぼくの母方の家のお寺さんは東京にあり、スカイツリーがちょっと見上げられるくらいの場所なのだけれど、このまえの法事の際に本堂にスピーカーが備えてあるのにふと気がついた。
なるほど大人数の場合には住職がマイクを使って、ここから増幅された音が出るんだなと思い、天井からブラケットでぶらさがっている、その黒い四角い箱のメーカーをついついチェックしてしまった。
「さて、お坊さんが好むスピーカのメーカーはどこでしょう?」
などと、すぐに答えの分かってしまいそうななぞなぞは、
坊主だけにボーズ、すなわちBOSEと
さして重要でもなく、当面役に立ちそうもない事を考えてしまうのがぼくのくせでもあります。
そしてそのお寺さんのスピーカは残念ながら坊主じゃなかったのだけれど、この広い日本のどこかにはシャレの分かる住職がBOSEを選んでみたり、そうじゃなくても音質のすばらしさでボーズを使っているお寺さんがありそうな気もしてきた。
もうひとつの気づきは、
近年は多いのかもしれないけれど、その本堂には椅子が備え付けてあることで、
正座でない椅子に座っての法要は初めての経験でした。
さて、法要がはじまると、またしょうもない思考が芽生え始めてしまう。
読経はなにかラップミュージックにも思え、
「ポクポク」 「チーン」 「ジャーン」
と木魚※くらいしか名前が浮かばない無教養っぷりだけれど、独特の音を奏でるそれらのものたちも楽器にも思えてきて、住職のお経の抑揚というか節というか、その声が楽器たち?と絶妙の間をとっており、眠気を誘う音楽・・としか聞こえなくなってきて、正座でない椅子の楽さも手伝い、つい、うつらうつらと船を少し漕いでしまったようだ。
いい音楽には、
「気持ちよくなる」
「眠くなる」
といった共通のことがあるなぁと、思い起こさせてみたところで、法要中の居眠りの言い訳にはなりませんね。。
>>>長年愛用のうちのスピーカーはやっぱりこのメーカー
※木魚は読経の際に拍子を取って打ち鳴らし、眠気覚ましの意味もあるそうです・・
木魚
といいますがよくよく見るとお寺さんで見かけるのは魚にはあまり見えない気もしますね。
含まれる「魚」の字のこころは、眠らない魚のように修行僧は怠惰になってはイカンとの意味があるそうです。
(ホントは目を閉じてないで寝てる)
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