おそらくは明治時代でしょうか、
写真という概念が一般に知られるようになり、それを撮られると「魂を抜かれる」とのうわさがありました。
精神的というか、唯物主義一辺倒でない、いかにも日本人ならではの感じ方だと思います。
この考え方もまんざらではないなと最近思うのです。
なにせ世界中がネットワークでつながっている時代、変な写真でも一たびアップされようものなら、そのデータ化されたコピー可能な画像の拡散ぶりは皆さんご承知のとおりで、
「魂を抜かれる」
迄は行かないとしても、当人のダメージは計り知れないでしょう。
紙ベースで、ネガから焼き増して、出版なんて時代はかわいいもので、牧歌的にすら思えます。
これは撮られる側のはなし。
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最近目にあまるのは、むしろ撮る側。
たとえば観光地、子供のイベントなどで、どうしてあんなにさもしく何でも撮りたがるのか不思議に思えます。
事あるごとに、スマホ、ケータイ、デジカメ(最近少ないですね)で撮りにかかって来て、
自分の「眼」で実際に見ることをしない人が多いようです。
こころのこもっていない、「魂」不在の行為。
まぁ、新しいおもちゃとしてのカメラを試したい、記録も残したい、その気持ちも分かります。
フィルムを使っていたころは一押しいくらの世界で、シャッターを切るということはそれだけお金がかかっていたので抑制が効いていたけれども、
デジタルは
「間違っても消せばいい」
「とりあえず撮っておけばいい」
とお構いなし。動画ですら消さなくてもいいくらいに記憶容量も飛躍的に増えてきました。
そして撮りはしたものの、どんどん蓄積される膨大なデータは、それを振り返ることすら許されず、
時の速さに負け、過去に埋もれて行ってしまう事が多いようです。
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要はバランスだと思うんですよ。たしかに記録は欲しい、でも撮ってばかりじゃ意味がありません。
実際に現場を自分の目で見て、空気を感じて、体に記憶をしみこませないと、体験としてはスッポ抜けてしまう。
写真家や趣味人ならいざしらず、あまり撮る事だけに労力を割くのはどうかと思います。
「一球入魂」ならぬ「一撮入魂」なショットは、できれば専門の人か撮影係にお任せしてしまいたい。
おしまい
2014-05-16
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